今回はいつもと趣向を変えてみて出生前診断に対する持論を語ろうと思います。
私は出生前診断と言う制度に対して疑問を抱いております。
端的に申し上げますと出生前診断によって障害児を事前に判断するという事はその先に待っている運命は中絶であり、この1連の流れが意味することと言うのは医療の敗北を認めることになると言うことです。
出生前診断→中絶の流れは医療の本質である命を救うこととは真逆のベクトルに向かう行為です。私は一部の特殊な事例を除いて、一般的な妊娠における出生前診断によって発覚した障害のある胎児を中絶することに対して反対しております。
・障害児には生まれる権利すら認められないのか
私はこの記事で最も主張したいことの1つとして挙げられるのが、「障害を持っているという理由で生まれる権利を剥奪されてしまって良いのか」という疑問です。
これはあくまで私の持論ですが、子供というのは生まれてきたその瞬間から親の愛情を受けて育つべきであると基本的には思うのです。そして親も子供がたとえどんな見た目をしていようとも、愛してあげるのが親の義務だと思います。したがって、子供を産むと言う事は子供が障害を持って生まれるリスクや病気を持って生まれるリスクを覚悟しなければならないということだと思います。
自分たちが勝手な期待を寄せといていざ生まれてきたら「こんなはずじゃなかったのに」と言うのは命に対する冒涜だと思います。
・よくある指摘:障害を持って生まれても子供自身が不幸な目にあうという指摘
私がこの持論を展開するとよく指摘されるのですが、「障害をもって生まれたって、子供本人も不幸な思いをするだけじゃないか」という指摘です。確かに障害をもって生まれた人は健常者と違って数多くの不自由に直面することになるでしょう。しかしながら、周囲の手助けや親の愛を受けて幸せに生活を営んでいる人も実際にいるわけであり、それを本人が必ずしも不幸せだと感じるとは限らないです。
そもそも他人がまだ生まれもしない胎児の人生をおもんぱかって勝手に「この子の人生は不幸だろう」と決めつけるなんてこの上なく愚かだと思います。
・現代社会は未だに障害児を見捨てるほど未熟なのか
しかしながら、現状では、出生前診断において障害があると判断された胎児に対して中絶をするといった処置が行われております。
本来医学の技術発展はこのような差別的な取り組みのためにあるのではなく、1人でも多くの命を救うためにあるのです。
本来は、障害児が生きやすい社会を作っていくことや、障害を克服するための医療技術の発展に尽力するべきであり、障害を持った子供を間引くなんて言語道断です。
医療の進歩を待つまでもなく私たちの努力でより良い社会を作っていくにはどうしたら良いか、考えることはたくさんあると思います。
皆さんはこの考えについてどう思いましたか
コメント欄やTwitterなどで皆さんの意見をお聞かせいただけると幸いです。
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